内付鑑三 所感集 鈴木俊郎 編
- 幸福とは何ぞ
- 幸福とは何ぞ? 幸福を求めざることである 不幸の中にあるをかえって幸福と思うことである 自己に死するをえて 自己になにものをも要求せざることである 哲人
Rothe(ロータ)の言をもっていうならば 自己と取り引きをなさざること である
神あり他(ひと)あるを知覚して自己(おのれ)あるを忘るることである 幸福の人とはかかる思意(こころ)の状態にありうる者である
義務は快楽と化し 道徳は道楽となり 幸福という文字そのものをさえ かれの念頭より去るをえて
かれは真正(まこと)の意味における幸福の人となるのである
- 人の価値
- 人の価値はかれの今の価値である かれの過去の価値でない かれが過去において善人でありしとするも
かれがもし今悪人であるならば かれば悪人である それと同じく かれが過去において悪人でありしとするも
かれがもし今善人であるならば かれは善人である 永久の現在なる神を信ずるわれらは人の過去を尋ねてかれの現在の価値を定めない
かれの価値はかれの今の価値である われらはかれの過去によってかれの価値を定めない
- 幸不幸
- この世にあって最も幸福なることは善をなして栄えざることなり その次に幸福なることは善をなして栄ゆることなり
第三に幸福なることは悪をなして栄えざることなり しかして最も不幸なることは悪をなして栄ゆることなり
第一の場合においては人は天国を譲り受くるの希望あり 第二の場合においてはかれは現世を楽しむをうベし
第三の場合においてはかれは過去の罪を償うをうベし しかして最後の場合においてはかれは地獄に堕ちるの危険あり
いずれにしろ困窮は安全にして繁栄は危険なり 否 人は前者を忌みて後者を羨むべからざるなり
- 単独の歓喜
- ひとり足りてひとり喜び ひとり喜びて到るところに歓喜の香を放つ 星のごとく
花のごとく 識認を要せず 奨励を要せず ひとり輝いてひとり香わし 詩人ホイットマンいわく
われはわがあるままに存在す それにて足る もし世に何人のわれを認むるなきも
われは満足してひとり座す もし衆人と各人とがわれを認むるとも われは満足してひとり座す
と しかしてキリストにありて われもまたかくありうるを感謝す
- 最も貴きもの
- 富と権とに優って貴きものは智識なり 智識に優って貴き者は道徳なり 道徳に優って貴きものは信仰なり
信仰に優って貴きものは愛心なり 愛において強固にして信仰は確実なり 道徳は高尚なり
智識は該博なり しかして富も権もついにまた愛心の命を奉ずるにいたる 万有をその中心において握らんと欲せば吾人は愛において富かなる者とならざるべからず
- 神の有無
- ある人は神は有りといい またある人は神は無しという しかして有りという証拠なしとすれば無しという証拠もまたあるなし
余輩は有りと信じて行うなり しかして行うて有りという実証を有るなり 神の存在は科学的にこれを言えば仮説の一なるに相違なし
しかれども最も多くの蓋然性を有する仮説にしてまた最も多くの事実を説明するに足るの仮説なり
- 善きこと三つ
- 健康のみが善きことではない 病気もまた善きことである 同情と推察とはより多く病気のときに起こるものであって
多年の怨恨も一朝の病気のために解けることがある
得することのみが善きことではない 損することもまた善きことである 財貨の損失によりて利慾の覆いが取り去られ
かって見えざりし神と天国とがそれがために心の眼に映ずるにいたることがある
- 愛せらるることのみが善きことではない 憎まるることもまた善きことである民の輿望なる
ものが吾人の身を去るに及んで 吾人は始めて死と未来に望みを嘱して 神と聖徒とを友とする
に至ることがある
- 快楽の生涯
- 得るの快楽あり 失うの快楽あり 生まるるの快楽あり 死するの快楽あり 愛さるるの快楽あり
憎まるるの快楽あり しかしてもし快楽の性質よりいわんには 失うの快楽は得るの快楽より高く
死するの快楽は生まるるの決楽より清く 憎まるるの快楽は愛さるるの快楽より深し
神を信じていかなる境遇に処するもわれらに快楽なきあたわず ただ悲痛の快楽の快楽の快楽に優る数層なるを知るのみ
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